ヒトとして...
                                                                    
                                                     by時野 流

人はなぜ生きているの?
ときかれて答えにつまった。

人はなぜ結婚するの?
ときかれて、子孫を残すためだと答えた。
・・・それは違う。
ヒトは一人では生きていけないから結婚するのだ。
ある人は、さみしいから。
ある人は、子供がほしいから。
ある人は、財産を残したいから。

人は生きた証を追い求めている。
なにも残さずに死を迎えるということは、
自分がこの世に生まれ出なかったことと、
あまりにかわらず、
それを儚くおもうのだろう。

なにかを残そうとするおもいが、
人の中に残った本能と呼べる部分なのではないかと、
そうおもう。

時代はかわった。
人は生きている。
生きることの答えを探している。
死ぬということを真剣に考えている。
人類を継続させることは理解できても、
子孫を残すことが理解できない。
何かを残したい。
曲でもいい。
絵画でもいい。
名誉でもいい。

人は、残すなにかを必死になって探している。
そして、生きた証を世に残すためならば、
どんなにも、残酷になれるのだろう。



いつからだろう。
「人間」ということばが嫌いになったのは。
ヒトの間と書いて、人間という。
そんな台詞を思い浮かべるたびに、
吐き気をもよおすようになったのは。

人間らしく生きるということと、
ヒトとして生き、ヒトとして死ぬ。
ということは似て非なることだ。
私はヒトとして生きたいとおもった。

正直者が馬鹿をみる世の中だから、
ひとりぐらい馬鹿になってみるのもいいとおもう。
それは偽善?
と聴かれたら、
「さぁ?」
と答えるだろう。
自分でも分からないし、
物事に善悪なんて存在しないことも知っている。
でも、
そうしないと後悔する。
そう、ただそれだけのことだ。

吹き荒れる風が好きだ。
大樹に抱きついてそっと命を分けあう。
波の音に、心を溶かして、
照りつける太陽の下、体を大地へとあずける。

それは、とても不自然なことなのだろうか。

スズムシの声が聞こえる。
6畳1間の空間で、
それをもの悲しくおもうのは、
おかしいことなのだろうか。



                2000.10.01
             Produced by T&K Factory.
             Writen by Nagare Tokino.
         mail to: tokino@mail6.alpha-net.ne.jp